れんげ考

みなさんは、ラーメンを食べるときに「れんげ」を使うだろうか。いままで、多くのラーメン好きが「れんげ」について書いてきた。勝手ながら、私も先人たちとは全く無関係に「れんげ考」をしたい。

ラーメン店におけるレンゲは一体何時からあるのだろうか。ラーメン店では、昭和40年代にでてきたらしい。ということはラーメン界におけるレンゲの歴史が浅いので、今私がなんといおうといいのではないかと勝手に思いこみたい。

 どうしてみんなは、れんげを使うのだろうか

1、ラーメンは熱い

 まず、麺ものの先達である「そば、うどん」を考えてみたい。レンゲがあるだろうか。鍋焼きうどん以外は、ない!(と思う)鍋焼きうどんにレンゲが必要なわけは、熱いという一点に絞られる。ラーメンが熱いかと言われれば、「熱い」と答えざるを得ない。少なくとも、そばうどんにくらべて、熱くする必要がある。その必要とは、豚骨や鶏骨のスープの生臭さをださないためである。不飽和脂肪酸が多いため、どうしても温度が下がると生臭くなってしまう。美味しくいただくためには、昆布や魚のだしと違って熱くする必要性があるのだ。ここが、蕎麦うどんと、ラーメンの大きな違いと思う。したがって、蕎麦、うどんに比べ熱い食べ物なのである。(ラーメンの温度のデーターは少しなら持っています。誰か、うどんやそばの温度を測って報告してくれるといいけど)

2、ドンブリの脂で手が汚れることがある。

 ラーメンはドンブリに脂がべったり付いているところもあり、客の立場としてはいやなものである。ここにもれんげを使う必要を感じる方もいるだろう。

3、西洋のマナーが浸透してきている

 若い女性は、「音を立てて食べる」ことを嫌う傾向にある。噺家のような美味しい音を立てて麺類を食べる女性は少ないように思う。音を立てずに食べる重要なアイテムとしてれんげを使う女性を見たことがある。

4、トッピングに小物が多くなり2番目の口として利用する

 トッピングにはいろいろな種類があり、中にはコーンのような小物が乗っていることもある。このような小物トッピングラーメンを食べるとき、困った現象が起きる。麺を箸で取り上げると、小物トッピングがスープの下の方へ崩落してしまうのだ。一度落ちてしまったものは、箸で探索してもなかなか見つからない。完成作品としてラーメンを考えたとき、トッピングも店の主張のはずだ。従って、麺やスープと同時に食したい。こんな時にれんげは重要なツールとして威力を発揮する。以前口中調味の話を書いたが、れんげの中を第二の口として考え、口中調味を行うことができる。実は、私はチャンポンでは時々この技を使っている。

私はなぜれんげを使わないのか

 私は、ラーメンではれんげを使わない。その理由を述べてみたい。

1、面倒くさい

 一番の理由である。ドンブリを持ってスープを飲むとごくりごくりと思うままの量のスープが堪能できる。ここが一番の魅力である。

2、香りが楽しめる

 温度と香りとテクスチャーに書いているように、香りは味を左右する大きな要素である。とすれば、ラーメンを作品として考えた場合、香りをかぎながら食べるのが正しい。まるでブランデーのようにそしてワインのように、香りを楽しみながら食べるためにもドンブリと鼻の位置は近い方がよい。この食べ方をする人を「ラーメンソムリエ」という。(うそです。こんなこと言いません。)

3、姿勢が良くなる。

 まるで健康グッズのような理由である。

 実は私が中学生の頃、友達と学食のうどんを食べにいった。友達は、始めから終わりまでドンブリを持ったままうどんを食べたのである。正直「なんて格好いいんだろう」と思ってしまった。(私にはそのけはありません。)「日本人は、食器を持たなくっちゃぁね。」という考えに凝り固まってしまったのだ。「犬食い追放!」これが、私の食生活の習慣となっている。(犬食いというのは、先割れスプーン、熱い金属食器の学校給食から始まった食器を持たない下を向いた食べ方です。忌み嫌われる食べ方で(私も大嫌い)給食に先割れスプーンがなくなり、箸が多くなったのはそのせいです。給食のせいで、犬食いみたいないやな習慣が残り、多くのすばらしい日本の食のマナーが失われてしまったなぁ。)

 それ以来、「落語家」のような食べ方をするように心がけている。

 

 このように書きはしたが、本当のところ論理的な理由は全くない。「れんげを使わないのが好きなんだ!」という感情論である。

 れんげを使っても使わなくても、

どうでもいいじゃないの

というのが本当のところである。ラーメンは、だれの意見も聞かずに、好き勝手に気楽に食べるのが一番大切だと思う。